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1994年 悲しかった思い 病気とわかるまで

 ジュンが生まれたとき体重は3760グラムでした。
それは我が家族にとってまちにまった男の子。
写真は生後5ヶ月ころです。丸々と太ったジュンでしょ!
健康優良児だったんです。
半年くらいまでは平均以上の体重増加だったのです。
ところが突然痩せてきたのです。



 生後8ヶ月くらいでしょうか。丸々としていたジュンに異変が出てきました。ジュンは早くから寝返りや、ハイハイをしていたので、運動量のせいかと思っていました。お母さんのおっぱいはたくさん飲むし、離乳食も食べるし。

 ところがどんどん痩せてきたのです。保健所の10ヶ月検診で医師の診察を受けて、北大病院の小児科を受診しました。血液検査などの一通りの検査でも原因が全くわかりません。その間もどんどん痩せていきます。

 12月にまた北大病院に受診したときに、詳しい検査をすることになり、札幌市中央区にあるそれも新築されたばかりの札幌厚生病院に入院するよう手配してくれました。それは12月2日の事です。

 2週間にわたる検査の毎日です。体重が増えず危険な為、24時間栄養の点滴がはじめられました。まだおっぱいを吸っているときのことです。大腸内視鏡など大人でも苦しむ検査でした。レントゲン、血液検査、尿検査、あらゆる検査をしたのですが、原因がわかりません。最後の最後でCTスキャンで病巣が発見されました。

 そして、翌日朝から物々しい雰囲気でMRI検査をすることを先生から告げられました。終わって暫くしてから、北大病院脳神経外科の先生数名がが病室に入ってきて、「お子さんは脳腫瘍です」と初めて聞かされました。そのときお母さんからお父さんを呼ぶ電話は悲痛な叫びでした。「早く病院に来て〜!」

 MRIの写真を見たとき目の前が真っ暗になったのを記憶しています。「なぜジュンが!!」「ウソでしょ!!」。大きいお姉ちゃんが小学3年生、マー姉ちゃんが幼稚園のときでした。

 札幌厚生病院は、脳神経外科が診療科目に無いので直ちに北大病院へ移送されました。その日からの1年8ヶ月にわたる入院生活は、家族にとって「とても苦しい時期」でした。ジュンはもっと大変な治療が待ち受けていたのです。

 最初は、脳神経外科病棟だったんですが、後に小児科に転科しました。脳神経外科治療をするには危険だからです。小児科では、点滴、鼻からチューブを入れての栄養補給に治療を専念することになったのです。骨と皮だけの状態になってしまった身体に、治療を受けるだけの体力と栄養を補給する為です。

お母さんと長い病院生活の始まりです。

 腫瘍がある部分は非常に外科手術では困難な位置にあります。乳幼児での外科手術は困難と言われました。過去に事例があるものの、最悪の結果だったと聞かされました。視神経のすぐそばですし、場所が非常に悪い為、食欲を減退させるなどのホルモンバランスを乱していたのです。

 もう点滴なしでは生きられない状態になってしまったのです。小児科での治療が本格的に始まりました。もう外は、雪が降っていて、お正月を迎える12月末です。当分自宅には帰れません。

長〜い、闘病の始まりです。


このページの内容は全て1994年です。
ジュンパパ
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