☆母子入院
病気とわかるまで

加筆訂正と新規があります

1994年4月5日 保健所にて4ヶ月検診「お母さんもベテランで、赤ちゃんも良く育っていて
言う事なしですね」と言われる。ちょっと鼻が高かった。
5月頃 はいはいした
6月頃 つかまり立ちした、すぐに伝い歩きをした。
7月頃 たくさん食べるのに体重が増えないの変だな」、と私自身思うようになった。
8月頃 次女の通う幼稚園のお母さん達から「なんだか痩せてて難民の子みたい」と言われるようになる。
9月15日 お姉ちゃんの幼稚園の運動会に元気に参加。だけどこの頃もうかなり痩せていた。
10月6日 保健所にて10ヶ月検診。体重が増えない事を相談したら「元気な様子で
心配はないと思うけれども、念の為北大病院の小児科を受診してみましょう」と言われる。
10月11日 北大病院小児科を受診。問診、身体計測、採血、採尿が行われた。
Dr.に、別な日に栄養士に栄養状態の相談をして来るように言われる。
それで一週間位食べた物と食べた量を記録し、再度保健所を訪問、栄養指導を
受けるが「全く問題なし」と言われる。
11月 北大病院小児科を再び受診。身体計測、採血、採尿をまた受ける。
前回の検査結果は「栄養失調状態」と言われる。
12月2日(金) 北大病院小児科を受診。やはり検査結果は「栄養失調状態」。栄養を取っているのに体重が増えないのは
代謝に問題があるかも知れない、という事で代謝グループのDr.を紹介される。
そのDr.に「入院してもっと詳しい検査をしないと」とお話が。
私もこの状態は心配だったので、入院にすぐ同意した。
北大病院の小児科はベッドに空きが無い為北大系列の別な病院に入院する事に。
Dr.が電話で確認して「お母さん、今日いいかい?」チョット躊躇したが
やはり早い方が、いいと思い「いいです」と返事をした。そのままタクシーで入院する病院へ向かった。
長い入院生活の始まり。ジュン風邪をひいたらしく元気がない。
12月3日(土) 昨日は個室に案内された。きれいな部屋でびっくり。ジュンの担当はTDr.話しやすそうな女医さん。。
詳しく問診を受ける、そして今後の予定などのお話があった。
取り合えず、2週間の検査入院の予定だという事。
今日は病院の都合で部屋を移った。同じく個室。
「栄養状態も悪く、痩せているので感染が怖いんです。プレイルームへ行かないように、
病室にも兄弟を入れないように」と注意を受ける。ジュン熱もあり咳が出ていて苦しそう。
点滴始まる。
12月4日(日) 昨日、点滴をしてもらったおかげでだいぶ元気に。
12月5日(月) 朝たくさんの採血。午後、北大病院内分泌班のDr.の診察を受ける。夕方薬で眠らせてCT検査。
夜、多量に嘔吐。
12月6日(火) 昨日のCT検査の結果、脳には異常は無いが、念の為北大病院放射線科に写真を送って
見てもらうとの事。今日は、他に特別な検査は無かった。
12月7日(水) 点滴を末梢からIVH(中心静脈栄養)に。午後2時から外科のDr.が来て差し替えを開始。
薬を使って眠らせたので、変な時間に起きて夜寝たのは午後11時。その後点滴の管がつまり
逆流して、大騒ぎに。でも看護婦さんが頑張って通してくれて、なんとか大丈夫だった。
12月8日(木) 朝、採血。静脈栄養は日中糖度7.5%から10%の栄養点滴に。これで太ってくれれば
いいのだけど。鼻水も良くなったし、咳もだいぶ楽になったようだ。
12月9日(金) 今日で入院して1週間。静脈栄養にすると血糖値が上がって、空腹感や喉の渇いた感じが減るらしい。
そのせいか、ほとんど食べたり飲んだりしなかった。
夕食の時嘔吐。
12月10日(土) みんなお休みでお姉ちゃん達が来てくれて、とても嬉しそうだった。食事はほとんどしなかった。
12月11日(日) 明日の大腸バリウムの検査の為今日は絶食。でも、とても調子良く元気。
12月12日(月) 朝、IVHの管がつまって、穴が空いてしまい、とりあえず末梢からの点滴に。またやり直すそう。
検査は結局午後からに。大腸バリウム検査はTV室で。夕方担当のDr.から、
今の時点での検査結果のお話が。
「低栄養によるやせ」との診断。
12月13日(火) 昨日の大腸バリウムに続き、胃と十二脂腸の検査。10時、12時、14時、16時とTV室で写真を撮る。
16時の時、外科のDr.が2人来て点滴の差し替え。点滴はまたIVHに。
12月14日(水) 朝から慌しかった。小児科のDr.が次々に来て「お母さん今日MRI検査するから」と言っていく。
今日はなにもなかったはずなのに。
5日の日に撮って、北大病院放射線科に送り見てもらっていたCT検査の写真、その返事が来て
脳に少し色がついている箇所があったので急遽検査をする事になった、とDr.の説明。
写真を持って、何処かの脳神経外科を受診してもらう、との事だった。
MRI検査が始まったら、ジュン目を覚まして起き上がってしまい、検査を中止して
夕方もう1回撮り直す事に。「お母さん、お昼寝させないでね、なるべく薬使いたくないから」
と言われたがジュン夕方を待たずに寝てしまう。
しばらくすると小児科のDr.全員と外科のDr.らしき人が2人ぞろぞろと病室に入って来た。
その2人のDr.の白衣には「北大病院脳神経外科」の文字が刺繍されていて、
改まった感じで話し出す。「お子さんは脳腫瘍です」
その後の話は覚えていない。Dr.達はしばらく話しを続けていたが、
私の脳はその言葉を拒否していた。頭の中は真っ白だった筈なのに涙が出てきた。
水道の蛇口ひねったよう・・・っていうのは、こういう事を言うんだなってその時理解した。
ジュンはなにも知らずにすやすや寝てる・・・。
Dr.達が部屋から出て行った後、慌てて夫に「原因がわかったの、急いで病院に来て!!」と電話した
私の声から只事ではない、と感じ取ったのか「わかったすぐ行く」と返事してくれた。師走で忙しい筈なのに。
その後再びMRI検査の時間がやってきて、ジュンを連れて地下の検査室に降りていった。
薬を使ってジュンを眠らせ、今度は無事に検査を終える事が出来た。
病室に戻ると、TDr.が「ご主人来たわよ。今説明受けてるからね」ああショックだろうなあ・・。
それからDr.から話をきき終えた夫が青ざめた表情で病室に入って来た。
私と目を合わせるとパイプ椅子に座り、大きなため息をついて頭を抱え込んだ。しばし沈黙・・。
「良かったじゃない」何か言わなくちゃ、と思った私がこう言ったら「え?」と夫が顔をあげた。
「こうなってる原因がわかったんだもの。だから良かったんじゃない?
原因がわかれば何か出来る事がある筈でしょ?」「そうだね」夫が少し笑った。
「本当は私が慰めてもらいたいんだけど」とまた私が言ったら「うん」と少しバツの悪そうな顔をしたので
また2人で笑った。
私がいつか天寿をまっとうする時が来て“自分の人生思い出のシーンベスト10”なんてものをもし選ぶとしたら
今日のこの日のジュンの病名聞いた時は間違いなく1位か2位に入るだろう、と思う。
また今も続くジュンの「MRI恐怖症」は、この日生まれて初めて受けたこの検査中に、
目が覚めた時の恐ろしさがジュンの奥深い記憶の中に、残っている為ではないかと思っている。
たとえ本人が覚えていなくても。
12月15日(木) 朝、IDr.が病室に来てしばらく話していった。
北大病院脳神経外科のDr.はこのIDr.の友人で、
ジュンがすぐ北大病院に移れるのもそのおかげらしい。
昨日北大病院のDr.達は「北大病院に移ってもらいます」とか
「すぐ手術になります」とかそんな事を話していた様だった。まだ悪い夢を見ているよう・・
ここの婦長さんは入院してから毎日病室を訪れて話しを聞いてくれたり、
励まして下さっていたが、昨日夫が帰った後も心配そうに病室に来てくれた。
その時私はまだ気が動転していたらしく、ものすごくストレートに
「この子は死んじゃうんですか?」なんて、聞いてしまった。
すると婦長さんはやさしい口調で「脳腫瘍と言っても出来た部位、大きさ、その性質はまちまちですから
助かるケースもあるんですよ」と話してくれた。
少し目の前が明るくなった気がして「ああそうか、どうか“いい場所”でありますように」
と私は心の中で願った。
検査もなく1日のんびりと過ごした。
12月16日(金) 転院する日。荷物をまとめて、点滴をロックしてもらい準備完了。
ジュンの担当のTDr.が一緒に行ってくれるらしい。
ジュンを抱いて、ナースステーションに挨拶に行くと「ジュンちゃん行っちゃうの?」
「退院したらここに顔見せに来てね」とみんな声をかけてくれた。
ちょうど2週間いたんだな・・。なんかちょっと寂しい・・。
病院の玄関に降りていった。Dr.と私とジュンを乗せたタクシーは
次の場所へ走りだした。
ジュンちゃんの闘病記[母子入院 小児科奮闘編」へつづく