☆闘病記を
 書くにあたって☆

このホームページは一昨年(2001年)ジュンの父親が、ジュンの入院中に作成しました。
ジュンが腫瘍摘出手術を受けた時です。(2001年夏休み)
退院して来たら、ジュンのホームページが出来ている事を知りました。
「闘病記を書いて」と言われましたが、とてもそんな気にはなれませんでした。
ジュンの状態も落ち着いておらず、時間的にも気持ちの上でも、とてもそんな余裕がなかったからです。

その後もジュンは調子が良くならず、放射線治療(2001年〜2002年冬休み)
シャント手術(2002年春休み)と闘病が続いていきます。
生活上でも様々な問題が起こり、ジュンは精神的にも不安定になり
学校へも通えなくなってしまいました。
精神的なストレスは身体症状を引き起こし、学校への登校は
ドクターストップがかかるほどになってしまいました。

その後は心理カウンセリングを受けながら、学校へは保健室登校をしています。
クラスのお友達の中に入っていくのは、まだむずかしいようですが、
ジュンの病気の症状は比較的落ち着いてきていて、私もやっとこの
ホームページに参加する気持ちの余裕が出てきました。
今なら闘病記を書けるかもしれない・・・そう思ったのです。

入院中毎日つけていた日記を読み返すと、辛かった日々が甦りました。
でも入院中は辛かった事だけではありません。楽しい事もたくさんありました。
それはたくさんの人と知り合えた事。

ジュンの入院していた北大病院には道内はもとより四国、九州などからも
治療に来ている人がいて、全国にお友達が出来ました。
悲しかった事はジュンと一緒に闘病していた人達が次々と天国に旅立っていった事。
小児科では子供達が、脳外科では大人も子供も。
それは本当にくやしくて、悲しい事でした。
でも、そのご家族の方とは今でも仲良くさせて頂いています。

病気は皆それぞれで、同じ病名、似た様な症状であったとしても、
全く同じ症例というのはありえません。
その中でもジュンの場合は小児科と脳外科を行ったり来たりするという
やはり珍しい症例であったと思います。

こうして振り返ってみると担当の看護婦さんとけんかした事もありました。
先生に喰ってかかった事もありました。
私の何処にあんな強さがあったのだろうと、今思います。
只、我が子を守りたい一心で必死だったあの頃・・・。

私も含めイベント好きなお母さん達が多かった為
病棟の行事に関係なく自分達で色んな行事をやりました。
お誕生会、花火大会、送別会・・・
お泊り組、母達でちょっとハメをはずした事もありました。
今すべてが懐かしく、愛おしい日々・・。
そんな日々をこれから書き綴っていこう・・と思います。

(2003年1月 母 記)